義和のぐーだら感想文

ふらふらとしたクリスチャンの若者。日々の生活のことについて、また最近読んだ本、アニメについて語りたいと思います。

金閣寺を読んで

全然書いていなかったので、久しぶりです。義和です。

 

つい最近三島由紀夫金閣寺を読んだのでその感想を書いて残しておこうと思います。

私には非常に難しい内容の本でした。次はあまり読まないかもなあ汗

 

この作品は三島由紀夫の代表作で破滅の美学、美についてテーマにして書かれているものなのですが、私はその点以外に、主人公の師匠について関心が行きました。ネタバレになりますが、主人公の溝口は最初にある大きな間違いを犯していました。アメリカ人の兵士の命令で妊婦を踏みつけ、流産させたのです。そのことを主人公の師匠は知っていながら溝口を叱ることをせずに、沈黙しました。この沈黙が溝口を苦しめ、師匠の怒りや憎しみを引き出そうとする執着を生むことになるのですが、師匠はいったいどういう気持ちでそのような措置をとったのでしょうか。溝口は彼が沈黙によって罰を与えているととらえていました。しかし、それは溝口の考えであって師匠の本心はなんだったのでしょうか。ただ、自身も昔ワルだったので若いゆえの過ちとして見逃したのか、それとも、溝口の考える通り沈黙による罰だったのか。それとも、ただ興味がなく放任していたのか。謝ってくるのを待っていたのか。

 これが物語の大きな分岐点になっていたと私は思っています。溝口は父親を亡くし、師匠が父親代わりだったのでしょうか。父と子の確執的なストーリーにも思えてくるのです。溝口の独白の形で語られた金閣寺をA面としてら、師匠のB面があるのではないかと思えてくるのです。

 これは金閣寺を教育論的視点から見てみようとしているのかもしれません。