金閣寺を読んで
全然書いていなかったので、久しぶりです。義和です。
つい最近三島由紀夫の金閣寺を読んだのでその感想を書いて残しておこうと思います。
私には非常に難しい内容の本でした。次はあまり読まないかもなあ汗
この作品は三島由紀夫の代表作で破滅の美学、美についてテーマにして書かれているものなのですが、私はその点以外に、主人公の師匠について関心が行きました。ネタバレになりますが、主人公の溝口は最初にある大きな間違いを犯していました。アメリカ人の兵士の命令で妊婦を踏みつけ、流産させたのです。そのことを主人公の師匠は知っていながら溝口を叱ることをせずに、沈黙しました。この沈黙が溝口を苦しめ、師匠の怒りや憎しみを引き出そうとする執着を生むことになるのですが、師匠はいったいどういう気持ちでそのような措置をとったのでしょうか。溝口は彼が沈黙によって罰を与えているととらえていました。しかし、それは溝口の考えであって師匠の本心はなんだったのでしょうか。ただ、自身も昔ワルだったので若いゆえの過ちとして見逃したのか、それとも、溝口の考える通り沈黙による罰だったのか。それとも、ただ興味がなく放任していたのか。謝ってくるのを待っていたのか。
これが物語の大きな分岐点になっていたと私は思っています。溝口は父親を亡くし、師匠が父親代わりだったのでしょうか。父と子の確執的なストーリーにも思えてくるのです。溝口の独白の形で語られた金閣寺をA面としてら、師匠のB面があるのではないかと思えてくるのです。
これは金閣寺を教育論的視点から見てみようとしているのかもしれません。
不安
皆さん、一週間ぶりです。
現在も卒論と格闘中です。
参考文献を読まないといけないし、文章を書かないと始まらない。
でも、どうしても不安で自信が持てない。頭の中がびちびち言っている。スマホの見過ぎかな。鬱との戦いも現在進行中。気持ちは前より落ち着いてきたし、体も軽くなったけど一つのことばっかり考え続けたり、不安が爆発したり、頭がうまく回らない。勉強してもこれじゃ意味がない、価値がない、どうせできないとどうしても思ってしまい、先が重い。小学校から大学に至るまでの色々なトラウマが自分を縛ってる。
ここ最近、久しぶりに友達と遊んだりしていいこともあったけど(楽しかった)、また胸にぐわっと沸く不安と、頭に重くこびりつく不安でつぶれそうになる。
はやくこういう日々が終わるといいなあ。
愚痴ばかりになってしまった。
次はいい思い出の日記が書きたいね。
では、また。
卒論をする
とりあえず今日の日記。
日記って言っても一日中家にいて食っちゃ寝の生活だから、中々書くことがどうも無さそう(笑)
とは言ってもやらなければいけないことがあるのです。それは、大学4年ならほとんどの人が通るもの、、、
そう卒論を書かなければならないのです!!!
とはいえ、何をどう手を付ければいいか分からず途方に暮れて、ベッドに寝ころび、スマホを開き、ユーチューブを開き、お気に入りのチャンネルを見て、幸せに浸って昼寝につく、、、
いや、なにしてるんだー!!!
(?)「アナタ、怠惰デスね?」
という声が聞こえて来そうだ。私は現実逃避をしてしまう。卒論という重たいものへのプレッシャーと、今まで積み重ねた怠惰への罪責感、あと半年で大学生が終わってしまうという将来への不安。でも、そのすべてを振り切ってこれからやるべきことをしなければ!
そういう意気込みをもってこのブログを書いている。(なお、現実逃避は現在進行中)
明日こそだ!(?)
では、また。
みなさん、初めまして。
みなさん、初めまして。この度ブログを開設したじょっしゅと言います。
現在22才、ぐーだらした底辺の大学4年です。
趣味は特になし。気晴らしに時々ネット将棋をしたり漫画を読んだりしています。
そして、クリスチャンです。
ブログを始めた理由は、へろへろな文章力を鍛えるため、また、日々の生活のことを記録として残しておくためです。なので基本雑記で、時々、まとまったテーマをもったものを書けたら良いなと思っています。(もしかしたら信仰的なものも結構書くかも)
拙い文章ですが、皆さんこれからお付き合いいただけると嬉しいです。